ホームハイポニカでの
過去の栽培事例
栽培に伴う作業には難しいことはないのですが、それでは栽培はいつも上手くいって、美味しい果実を沢山食べられるのかというと、それはそうでない場合も有ります。
そのあたりを当社絡みで実際に栽培した事例を紹介しておきます。
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■ 1998年(H10年)春~秋 赤米・黒米各2種栽培 <自宅/ホームハイポニカ302型(旧型)使用>
 初めての栽培には稲を選びました。
 深い理由はないのですが、トマトとかキュウリは一般的なので、
 
ちょっと違うものをというくらいの気持ちでした。
 ただ稲をやるなら古代米をということで、
 自然農で著名な川口由一さんから籾をいただきました。
 この時初めて、黒米には丸粒と長粒、
 赤米にはうるち米ともち米という各2種あるのを知りました。
 
果菜用のパネルには2つしか種を植える場所がないので、
 
無理やりもう2つ穴を開けて4種類での栽培を開始。

 8月半ばまではビニールハウスで栽培していましたが、
 いくらなんでも天井までは背丈は伸びないだろうと思っていたら、
 
もともと黒米は背が高いらしく、この頃にはとうとう天井高を越えてしまいました。
 栽培面からすると150cmほどでしょうか。
 この頃、ビニールハウスの中ではもう満杯になっていて、
 「窮屈だよぉ~」と稲たちが言っているように感じました。
 
そこでハウスのビニールを外したところ、
 
私には稲が大喜びしているように見えたのですが、1日か2日後大転倒。
 以降は無理やり紐で引っ張り上げて、
 それを支えにして立たせておくしか方策がなくなってしまいました。
 収穫自体は、もともと量は期待していなかったので、そこそこだったと思います。
 結局、折角の収穫は食べませんでした。
8月半ばの様子
稲穂
天日干
■ 1998年(H10年)7月~翌年5月 トマト栽培 <都下小学校/ホームハイポニカ401型(旧型)使用>
ハイポニカ農法による栽培の真髄は、大きくなるとか沢山の実がなるのもさることながら、その成長の勢いにあると考えています。ですから、子どもたちが目の前でその成長を見ることができたら、そこから大人をも巻き込む感動の場が生まれるはずだとという確信がありました。その確信が「妄想」ではなかったことを証明してくれた最初の事例です。

トマトは中玉のトマト。当時小学2年生の子どもたちでしたが、クラスの教室ではなく、生活科室というところで栽培しました。もちろん先生たちの協力もあったわけですが、見事に大きく育ちました。残念ながら、トマトが沢山成っている時期には行けなくて、このくらいの写真しか残っていません。けれど、他の学年や先生方、保護者の方々にも食べていただいたようです。

この子供たちの間から「はいぽに歌」が生まれました。子どもらしい、感性に溢れた、瑞々しい15編の詩。大きく大きく育ったトマトの樹を、友達が一人増えたように接する子どもたち。彼らの想い入れが見事に伝わってきます。
この詩は、いろいろな出会いが繋がって

「詩集/はいぽに歌~子どもたちとトマトが奏でた交響曲~」

として1冊の本にまとめられました。ご興味のある方は上記をクリックしてください。非営利活動団体フォーラムはいぽ2課にて販売しています。
■ 1999年(H11年)春~翌年春 赤米・黒米各2種栽培 <自宅/ホームハイポニカ302型(旧型)使用>
1999年初夏の頃の様子
1999年の稲穂
2000年栽培継続断念時の根の様子
1999年は、前年の栽培でできた籾を使って、やはり4種類を栽培。8月になって穂が出始め、穂が出る頃になると水の減り方が急加速することに気付きました。が、その後に異変。前年は穂が出ると直ぐに花が咲いたのですが、この年は、真ん中の写真にあるように、穂は出ても花が咲かない。これでは実を着けようもありません。

実はこの年の栽培を始めるに当たって、秋に栽培をやめずに、そのまま越年させてみようかとも考えていました。もしかしたら稲たちもそれを察して翌春に備えてパワーを蓄えているのでは、という勝手な期待で、そのまま栽培を継続しました。翌年5月くらいまでは様子を見ていましたが、さすがに復活はせず、栽培を断念してポンプの電源を切りました。

その時印象的だったのは、一番右の写真の根っこ。まだまだ白いままで元気に見えましたし、なによりも流れている水がきれいでした。電源を切ってからもしばらく放置していましたが、その後残っていた藁色の茎がやがて黒くなっていきました。ということは、復活こそしなかったけれど、生物としてもう生命がなくなっていたというわけではなかったのでしょうね。
■ 2002年(H14年)夏 ミニトマト栽培 <A氏宅/ホームハイポニカ302型(旧型)使用>
 自宅の庭でハイポニカ栽培をされているA氏のお宅に、
 その秋から小学校の教室で栽培を考えていたK先生と訪問。
 いろいろ教えていただいた。

 教室で栽培する場合の最大の課題は、
 成長する茎や枝をどうやって上方に導引するかということでした。
 実際には、結局天井近くの梁にフックをつけて吊ることにしました。
■ 2002年(H14年)9月~翌年5月 ミニトマト栽培 <都内小学校教室内/ホームハイポニカ401型(旧型)使用>
小学校で子ども達に育ててもらった二つめの事例。今度は4年生。教室の中での栽培だったし、比較的に近所の学校、しかも担任の先生が私の同級生だったので、子どもたちの思い入れはほぼ直にライブ感覚で伝わってきました。席替えでトマトの側を離れたくないと言い出す子ども。目の前でトマトが伸びていくのが見えると言い出す子ども。土日が休みになったこともあり、少なくとも金曜日に下校し
10月11日/約1ヶ月後の姿
12月3日/この頃最初の実
翌年3月1日の姿
て、月曜日に登校したときの大きさの違いは歴然だったようです。このクラスは27人だったのですが、男の子がこんなことを言いました。「うちのクラスは27人じゃない。28人だ。」それを先生から聞いただけで、私の眼はウルウル。やっぱり子どもって凄い!!

困ったのは、年度が替わりの進級に伴って、子どもたちの教室が隣に移ることになったこと。そのまま新4年生に譲ることも考えたのですが、子どもたちは自分たちの側に置きたい。あちこち相談して、結局は春休みに移動することにしました。ところが、いざその日になって吊っていた紐を外したら、見た目よりもはるかに量が有って物凄く重い。教室はなんとか移動したものの、元のようには持ち上げられませんでした。それが原因になったのか、あるいは寿命であったのか、移動後はまだ実を着け花も咲かせてはいたものの元気がなくなり、栽培継続を断念して5月5日に切りました。その時、最後に切った大本の茎の断面の瑞々しさは忘れられません。それと教室を移動させるためにミニトマトの下に潜り込んだ時の青々しい臭いは、これをこのままずっと吸っていると健康になってしまうんじゃないかと思えるほど気持ち良かったが印象に残っています。
■ 2004年(H16年)月~11月 ミニトマト栽培 <都内小学校校庭/ホームハイポニカ401型(旧型)使用>
近所の小学校の校庭を借りて栽培。校長先生にお願いに行くのが遅くなり、1学期の終業式の日に種植え。順調に育って、10月末には真ん中の写真の状況。11月半ばにはさらに大きくなって、ミニトマトの勢いに押されて、遠目に見てもビニールハウスが膨らんでいるのがわかるほどでした。が、そこで「大事件」発生。
都合で1週間ほど留守をして様子を見に行ったら、校門から見てもビニールハウスに膨らみがない。異常を感じて近づいてみたら、完全に勢いを失って萎れかかっていました。ポンプの電源のコンセントは外にあるのですが、それを職員室内でオンオフでき
10月14日、完熟の連なり
10月29日の様子
11月22日、事件直後
るようになっている。それを誰かが事情を知らずにオフにしてしまったため、ポンプが止まって水の補給ができなくなったのが原因でした。11月22日は月曜でしたが、土曜日が学芸会だったため代休、翌日は祝日で教職員の出勤はなく、どうにもできませんでした。
それでも諦めきれず、1ヶ月ほど栽培を続けましたが、さすがにもうだめでした。

この時の栽培で鮮明な記憶は、最初の頃にできた実の美味しかったこと。1個目は校長先生に食べてもらい、続く何個目かを食べてみたのですが、なんとも甘みが濃く、思わず「美味い」と唸ってうほどでした。30分くらい経ってもまだ口の中に甘さが残っていて、感激しました。
■ 2004年(H16年)~秋 トマト&蕎麦栽培 <自宅/ホームハイポニカ601型&501型使用>
5月30日、トマトも蕎麦も成長始め
8月に2個のみ収穫
8月1日、育ちすぎ
この年はトマト型の601型で中玉トマト「ルネッサンス」、501型で蕎麦の栽培をやってみました。構想としては前に蕎麦が育ち、その後ろからトマトが覆い被さる姿を思い浮かべていました。が、です。蕎麦の成長が予想しないほど早く、お日様の方向を塞ぐような形になってしまいました。蕎麦は成長が早いと後で聞きましたが、まさに後の祭り。
その所為か、トマトは大きく成長はしたものの実は2つ着けただけで終わってしまいました。トマトの実は写真のようにいい色でしたので、味には期待したのですが、残念ながらほとんど味はありませんでした。

蕎麦は見事に成長。その意味では成功だったのですが、根が繁茂しすぎて栽培槽が一杯になってしまいました。結果、水が通らなくなって溢れ出すようになり、無理やり長い棒を突っ込んで水路を確保することもやってみましたが、一時凌ぎにしかなりませんでした。後ろのトマトが元気なかったこともあり、蕎麦自体は全く元気で、花も次々と咲き実もどんどんできていたのですが栽培を断念しました。
でも、上述のようにトマトも元気にはならず、しばらくあとにやはり栽培断念にいたりました。
左から、蕎麦の花、実、根。8月1日、栽培断念時に撮影。
■ 2007年(H19年)5月~翌4月 朝顔栽培 <自宅/ホームハイポニカ601型使用>
10月4日の状態
10月31日夕刻
11月15日の青の青
2008年4月29日の根の状態
夏の暑さ対策のことも考えて「緑のカーテン」に挑戦。5月11日に種植えして栽培開始。順調に生育したものの、10月4日の写真にあるように上部は繁茂するものの下の方はスカスカ。とても「カーテン」と言える様な状態にはなりませんでした。しかも夏が過ぎ、秋風が吹いても、花はおろか蕾も全くつかない。かみさんからも「そろそろ切ったら」なんて話が出て、自分もそんな気になっていました。

ところが10月も終わりに近づいた頃、かみさんが「咲いたね」と一言ボツッと。何の話かと思ったら、なんと朝顔が咲いているとのこと。慌てて物干しに行ってみたらホントに咲いてました。しかも綺麗なブルー。品種は西洋朝顔でHeavenly Blueというんですが、日本では「天上の青」という言い方が多いようです。その後200輪ほど咲きましたが、当初は「朝顔」という割には夕方まで咲いている。そのうち「二日顔」になり、「三日顔」にまでなって、12月10日頃になるともう蕾は開かなくなり、終わりを迎えました。

ネットで調べてみましたら、確かに開花の期間は永い品種のようで、日照が強いときでも昼頃までは咲いているらしいです。それでも早いものは6月には咲き始めているようですし、遅くとも8月には咲いているらしい。なぜに10月末まで咲かなかったのかはさっぱりわかりません。枝葉を伸ばすのに専念して、これ以上は難しいと思ったときに花を咲かせるようにしたのでしょうかね。

ずぼらなもので、そのまま放って置いて、先日次の栽培を始めるために片付けました。右の写真のように栽培槽一杯に根が張っていました。ただもう根も水も茶色くなっていて、さすがに生きているという状態ではなかったようです。1999年に稲の越年栽培をしたときの最後のような綺麗な根と水の状態ではありませんでした。
■ 2006年(H18年)7月~翌6月 ミニトマト栽培 <都内小学校会議室内/ホームハイポニカ303型使用>
7月31日 弱弱しく
11月14日 ミニトマトの緑陰
翌1月26日 完熟の実
翌1月26日 成長
創立50周年の式典を秋に控えている小学校の会議室で栽培してくれることになりました。7月8日に種を植え、12日には順調に芽は出たのですか、そのあとがやきもき。梅雨明けが月末まで遅れ曇天続き。しかも、わかってはいてできるだけ窓の近くには設置したものの、想定以上にお日様の高度が高く、芽にまで直射日光が届かない。双葉も種の殻を振り払うことが出来ずに開けないでいる。
8月に入って栽培器の場所を移動し方向も変えて、可能な限り直射日光に当たるようにしてみました。それでも背丈は伸びるものの横の広がりができず、中止するかやり直すか先生たちと悩みました。でも夏休みが明けて子どもたちが登校し始めた頃から徐々に活性化。なんとか式典の頃には大きく育ち、赤い実もつけてくれました。
実の数は千個までは数えて、その後は数えるのを止めたそうですが、どう考えても1万個以上は実ったのではと言われてました。ただし実の大きさはだんだんと小さくなったりするようですけれど。
■ 2005年(H17年)5月~11月 ミニトマト栽培 <都内小学校校庭/ホームハイポニカ401型(旧型)使用>
5月6日に種植え。12月まで栽培。詳しくは後日掲載しますね。